15日の早朝に亡くなったとの連絡があったものの、その後のことはなにひとつわかりませんでした。
私の家からパトリシアの屋上がよく見えます。なぜか洗濯物が干してある。一体誰が・・・これは、パトリシアの仕事でした。ここで、よく手を振りあったものです・・・
家の近所で聞いたり、教会に行ってみたり・・・店はもちろん閉まっています。パトリシアによく似た小鳩が・・・どこにいるのでしょうか。
翌日の夕方になって、ようやく郊外の教会に遺体が運ばれた・・・と、聞いて車を走らせました。丘の上の実に寂しい小さな教会でした。家族に囲まれ、パトリシアが横たわっていました。なんだか顔がしっかりとしている・・・お母さんのベラと抱き合って泣きました。その後、私は激しい頭痛と震えが来て立つことも出来なくなりました。
翌日が葬儀でしたが、私は行けませんでした。夫がひとりでお別れをしてきました。葬儀の始まる頃、店に行ってみると、こんな張り紙が・・・私の知っているパトリシアとはちょっと表情が違います。ごく普通の若い女の子の顔がありました。数年前に脳の手術をして、表情が変わったようです。
葬儀の翌日、店に行ってみると・・・なんとベラは店を開けていました・・・黙って手を握り、カフェオレを注文しました。
夕方は、夫と行って、ワインを飲みました。いつもと同じ風景です。ベラは怒ったような顔をして、誰とも口をききません・・・びっくりするような大きくて真っ赤な太陽が沈んで行くのを、常連客たちは黙って見つめました。
考えてみると、唯一のポルトガル人の友達でした。そんな話もいつかしたいと思っていました。私たちの帰国を彼女は知りません。一度うちに呼んでゆっくりと話そうと思っていたのです。日本が大好きで・・・そして、私のことを大好きでした・・・もちろん、私も大好きだったよ・・・さよなら、パトリシア・・・ありがとう。