もう三十年以上も前、京都まで見に行った絵です。エバリット・ミレーの「オフェリア」です。なぜか東京ではやらなかった・・・銅版画の長谷川潔も京都まで行きました。当時は、そんな展覧会がよくありました。
ここに描かれている花も好きです。それぞれに意味があって・・・芥子は死、ひな菊は無垢、薔薇は若さ、すみれ、信頼と若死に、パンジーはむなしい愛・・・を現しているそうす。物語を描くのが得意だったようです。
岸辺に咲く、この野薔薇を、伊豆の山で見つけたときには本当に感動しました。何日もかかって山から掘り出し、庭に移しました。花が咲くのを見たのは、二十年後・・・昨年の夏でした。
物語の次に好きだったのが、美しい少女・・・「熟れたさくらんぼう」
「ベラスケス回想」
「ポブリ」左は男の子かもしれません。
「最初のお説教 」・・・叱られているようです。
「二度目のお説教」・・・なんとも可愛らしい・・・物語があります。
最初の「オフェリア」のモデルは知り合いの娘で、実際に湯を張ったバスタブに少女を横たわらせて描いたそうです。あまりにも長くかかったので、風邪を引いてしまい、父親をたいそう怒らせたそうです。
こうした背景を知ると、絵がさらに面白くなります。
「オフェリア」は、伊豆の家が建った時、京都の仏文学者、生田耕作・かほる夫妻の家に飾ってあったもので、もう充分に楽しんだので持っていきなさい・・・と、いただいたものです。上等な額縁がついていました。どこかにしまったはずですが、見当たりません。