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実造君が、北アフリカのスペイン領、セウタの仕事場にやってきたのは、1988年、26年前のことです。背がひょろりと高い、まだあどけなさの残る19才でした。 当時、マグロの畜養漁業が行われていたのはセウタだけで、会社の勢いは、それはもうスゴいものでした。時にはマドリットまで日本食を食べに行ったり・・・ まるでジャニーズのようです・・・どのような経緯があってこんな地の果てのようなところに来たのかは聞き漏らしました。宝石商のお坊っちゃまの着るものはベルサーチやナントカやら、ブランドもの・・・漁師には見えませんでした。 一年目はいじめられ、辛そうであったけれど、そのうち野獣のような漁師たちにも可愛がられ・・・並んでいるのは、今も地中海で漁師をやっている森君です。 モロッコ人街にあった我が家には入り浸りでした。寂しかったのでしょう、夫にはべたべたと甘え、いつもこんな感じで、じゃれあっていました。お酒が強く、すでにウイスキーが一本半くらい空いています。 ペースが早いので、飲むとすぐに寝てしまう・・・ 彼が来て三年ほどで放漫経営の会社がつぶれ、神戸に帰った彼はお父さんになりました・・・子煩悩で、伊豆の家にも家族でたびたび来てくれて・・・幸せそうな様子に私たちも喜んでいました・・・それが・・・ 今は、額に入って・・・彼の姿はありません・・・昨年の二月、ポルトガルに発つ前に夫が電話で話し、そのときにはなんの異変もありませんでした。しかし、その後ポルトガルから何度電話をしてもでない・・・不審に思いながら帰国すると・・・三月に亡くなっていたのです。45才、硬膜下出血とかいうものだったそうです。 ご両親の心を思うと、言葉もありません。新神戸まで迎えに来て下さり、自宅にお線香をあげに行き・・・奥さんが仕事があるので、早々に失礼して、実造君が育ったご両親が暮らす家に伺いました・・・子供たちは学校で、会えなかったのが残念でした。 三宮で食事をと、誘っていただき、お父さんもお酒を召し上がれるようにと、駅まで歩いて行きました。実造君が子供の頃に遊んだ公園や学校を眺めながら四人で黙って歩きました・・・高齢化で若い人や子供の姿はなく、学校も廃校が決まったそうです。 お招きいただいた立派な中華料理店「神仙閣」は、実造君も好きだった店だそうです・・・本物のフカヒレスープは、何年振りでしょうか・・・ 蒸し鶏、エビチリ、肉の角煮、などなど・・・紹興酒を飲みながら、実造君の話しをしました。しかし、思い出話をどの程度していいものか・・・ご両親にとっては、お辛いのではないかしら・・・三人兄弟の中でもっともやさしい子であったそうで・・・お元気そうにはしていらしたけれど・・・私たちのような立場のものが、うかつに泣いたりできない・・・と、涙を堪えました。 ホテルは偶然、この中華料理屋のすぐ脇にありました・・・神戸の夜景は、なんだか外国のようです。 帰り際、お父さんが近くのレストランまで連れて行ってくださり、明日は、ぜひここでカキフライを食べて帰りなさい・・・と・・・「もん」です。 翌日、行ってみました・・・入ると、夫は以前、実造君と来たことがあるそうで、ここも彼のお気に入りであったようです。レトロな素敵な店で、開店と同時にすぐに満員になりました。美味しいカキフライでした。 帰国して、すぐに知った訃報でした・・・夫はショックでしばらく口も聞けませんでした。パリにも一緒に行きました。ローマにも行き、ベルサーチとやらに連れて行ってもらい、夫はそこで素敵なワイシャツを買いましたが、生地が薄く乳首が透けるので一度も着ませんでした。その時の彼の笑い声が忘れられません。素敵なパンツも、太ってすぐに着られなくなりました。お母さんがお料理が上手で「オカンのメシはうまい・・・」と、セウタではよく自慢していました。私が砂糖入りの卵焼きを作ったら「ありえん !・・・」と、本気で怒りました。ドライブが好きで、独身時代は気がむくと伊豆まで日帰りで来たり・・・思い出が止めどなく蘇ります。人柄がよく、誰にでも好かれて、葬儀には600人もの人が参列したそうです。もうすぐ一周忌があるそうです。 父さんは、一度セウタにいらしたことがあり、私がお会いするのは、25年振りでした。
by aomeumi
| 2015-02-09 12:15
| 喜怒哀楽な人々
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