ポルトガルに来て、一年はキッチン付きのホテル住まいでした。いわゆる1DKで、1日(ひと部屋)15ユーロだったと思います。そのあと、天井に美しい泰西名画の描かれた古い2LDKの家に移りました。この家にはグリコのオマケのように、女中が付いていました。気に入った家だったのに、私たちが日本に帰国中、勝手に改装(好意から)されていました。古い重厚なドアは、アルミのペラペラで、安物の大きなライオンのドアノックが付いていました。しかし、このドアは、近所の人たちの羨望の的となり、何人もの人が「どこで買ったの?」と、訊ねてきました。極めつけは寝室。床と壁一面にタイルが張られ、まるで霊安室に横たわっているようでした。
そこで再び移ったのが、この黄色い家です。
夏、猛烈に暑く、冬は深々と寒く、雨漏りのする、オリャオの街では当たり前の家でした。
テラスは、家がもう一軒建てられるほど広く、12年も住むうちに、草木がジャングルのように茂りました。
仕事部屋の窓から見える、バスコ・ダ・ガマの通りでは、人や犬、そして、子供たちが大声をあげてサッカーをしている姿が見えました。